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昭和58年4月 千葉大学園芸学部農芸化学科入学
平成 元年3月 同大学院終了 無鑑査刀匠吉原義人師に入門
平成 6年4月 独立し島根県横田町で作刀開始
新作刀展覧会初出品優秀賞・新人賞
平成7年から13年までの7年間、
日刀保たたら村下養成員としてたたら操業に従事
平成12年11月 日立金属冶金研究所客員研究員になる
平成13年4月 島県比婆郡西城町に善博日本刀鍛錬道場を建て独立
平成17年1月 (財)日本鉄鋼協会論文誌「鉄と鋼」に論文掲載
<特別賞3回(会長賞1,寒山賞2),優秀賞6(新人賞),努力賞3(短刀脇差の部1)>
日立金属冶金研究所客員研究員
本場奄美大島黒糖焼酎を広める会事務局
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子供のころから植物が好きな理系人間で、千葉大園芸学部に入学。大学に入った頃は自分が本当にやりたいことが判らず、有り余る体力を自転車旅行に費やしていた。4年で研究室に入り初めて熱中できるものを見つけ、研究に没頭。「硝酸還元酵素の構造と機能」という題目でJBC(米)という生化学雑誌に論文が掲載された。研究者としても生きていけるかな、などと考え始めていた大学院1年の秋、極めるというTV番組で故隅谷正峰氏が「鎌倉時代の名刀は再現できない」と話しているのを聞き、「そんなに難しいのなら、敢えて挑戦してみたい」と刀鍛冶になることを決意。当然、親は大反対。大喧嘩の末、勘当同然で吉原義人師匠の下へ入門。修業時代は、自由な雰囲気でとても充実していた。「上手くなりたければ一生懸命やればいいし、そうでなければ遊んでいてもいい」というのが師匠の口癖で、細かな指導はほとんど無かった。お手本は一流、努力するのみの5年間。自分で考えるのが好きな私にとっては、最高の環境でした。
修業中に決行した自転車やヒッチハイクによる鍛冶屋めぐりの旅を通して、古刀の再現には先ず鉄を極めなくてはいけないと考えるようになり、木原明村下(国選定保存技術保持者)のお誘いを受け、島根県横田町へ移住。日立金属系列の鳥上木炭銑工場の専属刀匠として、日刀保たたら製鉄に従事しながら刀工としてスタート。平成10年、松江での国際金属歴史会議(BUMA4)に、日本刀の地鉄について日立金属と共同で研究発表。この共同研究に触発され、日本刀とたたら製鉄について技術者として論文を書くことを決意。平成12年秋、頼み込んで日立金属冶金研究所の客員研究員になる。横田での7年間、鉄作りと冶金学の勉強がみっちり出来たことは、刀鍛冶として大きな財産となった。
平成13年4月、広島県比婆郡西城町に善博日本刀鍛錬道場を建て独立。本格的に和鉄についての研究に取り組む。たたら製鉄についての研究論文第一号が、日本鉄鋼協会論文誌「鉄と鋼」平成17年1月号に掲載。作刀との両立は至難の業であるが、年に一報ずつ論文を発表していくのを目標としている。念願の論文が受理され、ようやく自分のやるべきことが見えてきたと感じている。古刀の謎を解明すべく、精力的に研究していきたい。
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